本ページはプロモーションが含まれています

エジプトの太陽の船が日本にあった! 珍敷塚古墳の壁画の謎

ふしぎ旅

古代エジプトの
ピラミッドで有名なものといえば、
ギザにあるクフ王のピラミッド

このピラミッドの近くで発見された
「クフ王の船(太陽の船)」は、
4500年を経ているにもかかわらず、

保存状態がよかったこともあり、
元の形に復元することに成功しました。

この船は全長42.32m、
全幅5.66mもの大きさを誇ります。

古代の現存する船としては
最も古いものとなります。

さらに、早稲田大学のチームが、
この船の近くから
もう一隻の船を発見しました。

スポンサーリンク

エジプトの太陽の船がもう一つ

エジプトの太陽の船がもう一つ

太陽の船が発掘されたすぐ近くで
発見された船は、

「クフ王第二の船」

と呼ばれています。

それは、大きな石坑の中に収められ、
重さ16トンの巨大な石ぶた41個で
ふさがれていたのです。

現在は発掘と復元作業が行われています。

発見された二隻のクフ王の船は、
古代エジプトの死生観に基づく
太陽の船であると考えられています。

先に発見されたものを、
第一の太陽の船

もう一つのものを、
第二の太陽の船
と呼びます。

古代エジプトの死生観とは、

“王(ファラオ)の魂”は
肉体の死後も永遠に生き続け、
「太陽の船」に乗って
この世とあの世を行き来する。

「太陽の船」は2隻あり、
この世とあの世は
それぞれ違う船に乗って天空を巡っている“

というものです。

死生観に基づく太陽の船は、
新王国時代第18王朝の貴族
センネジェムの墓室にも
「ラーの太陽舟」といわれる
壁画として描かれています。

そして、驚くべきことに
この太陽の船とそっくりな図柄が、
日本で発掘された古墳の壁画に
描かれていたのです。

それも、1つではなく、
いくつも発見されているのです。

エジプトではなく日本にある第2の太陽の船はどこに?

日本の古墳の壁画として
描かれている太陽の船のうち、

代表的なものは、福岡県にある
珍敷塚古墳(めずらしづかこふん)
の壁画です。

この壁画の図柄を見ると、
左側の船の上に
日輪(太陽を意味する)が
描かれています。

この船は、まるで
太陽を運ぶための船
のように見えます。

古代エジプトと日本では、
現代のように容易に
行き来することができる
とは思えません。

それにも関わらず、
古代エジプトのピラミッドなどの墓と、
日本の古墳に
太陽の船に酷似した壁画が
描かれていたことに
驚きをかくせません。

古代は、エジプトと日本は、
何らか手段で
行き来することができたのか、

それとも、
もともと何らかの理由で、
共通の文化を持っていたのか。

古代の謎が見え隠れするのが
ワクワクを誘います。

エジプトの太陽の船が日本にあった! まとめ

クフ王のピラミッドで発見された、
二艘の太陽の船と、
日本にある太陽の船の壁画をご紹介しました。

日本が誇るエジプト考古学の権威といえば、
吉村作治教授ですね。

エジプトの発掘調査の資金のために、
メディアで稼いでいたとか。

エジプト考古学といえば・・・
早稲田大学ですね。

「クフ王第二の船」を発見したのも
早稲田大学のチームです。

まさに遠い国で大活躍です。

考古学好きには外せないエジプト。
そこで発見された太陽の船の壁画が
日本の古墳で発見された。

それも複数あるんだけど。

これには、本当にびっくりです。
エジプトの遺跡は、
調査をすればするほど、
謎が増えていくイメージがあります。

しかし、その謎が海を越えて
地球の反対側の日本までやってくるとは。

それがエジプトの死生観の壁画というのが
面白いですね。

建築様式や道具といった形あるものは、
何らかの方法で伝来したのかも。

そう思えるのですが、
死生観というのは、民族が持っている思想ですから。

他の国、それも古墳というお墓の壁画となることは
想像できませんね。

だからこそ、面白い謎ですね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました